綿毛の着地

昨晩帰り道に見たのはタンポポの綿毛が消えてしまった風景。空き地に鬱蒼と背の低い雑草が生えていて、そこに少しだけ顔を出すようにタンポポの綿毛が丸々と点々と。空き地の隣はコンビニで、そこの光に空き地が照らされると、びっしりと生えた雑草は影を作り合って暗い地面に見え、少し高い位置にある綿毛だけがフワフワと光って見えました。コンビニの光はオレンジだから、綿毛はほんのりと熱を帯びた玉になって、毎晩浮かんできては揺れるのでした。その風景を見ながら帰るのが最近で、雨の日のその場所を見たことがなくて、昨日も空き地の前を通って帰った。昨晩は雨。一日を通して風の強い雨。空き地は鬱蒼とした雑草のみになっていました。風に飛ばされたのか、雨に落とされたのか。頭には雨に打たれてその場に落ちるところがフワフワと浮かんだ。もしくは少し飛んで同じ空き地に着地するところ。着地は成功。様相はスキージャンプのように手と足の伸びたきれいなフォームで。慣れたことに囚われないこと。新鮮でいること。


偶然のこと

偶然が重なればいいな

そう思っています。偶然が重なる回数は日々と関係している気がしています。偶然と言われて思い浮かぶのは、偶然誰かに出会うということ。今日は(僕ではないけど)本屋で知り合いにあうところを見たし、僕は僕で祇園四条あたりで、多分知人とすれ違った。帽子とすれ違いで確かでないから声をかけなかったけど、あそこでの一言があれば、今日の偶然の重なりを強いものにしたんだろうなと思う。先週の平日も仕事の休憩時間に兄弟と兄嫁に会って「約束」を介さず会うことは、嬉しい、そう思ったから、偶然を重ねて行くことについて、少し考えていたのでした。

 着実なこと、進みながらも失うことを極力抑え、身の回りを整えて正確に進行するよりも、何かの為でなく、今目の前にいる人や、いつかの知り合いたちに、少しずつでも私の欠片ともいえる影が偶然や、「手紙」くらいの小一手間のささやかさを、其の人の日々のうちに、どこからともなく現れて、瞬間のひととして現れて、いつかまた何処かで偶然に出会えること、目の前で対することがあれば、それはまた少しの驚きをを持って慌てる自分にまた慌てることになりますが、偶然を呼び込むような重なりを持って生きて行けたらいいなと何処かで思うのです。

 予定とはまた違って、偶然を呼び込むような日々を。「偶然なんて、偶然なんだからどうしようもない」と思う人もいるかもしれないけど、偶然の回数や重なりは、人によって違ってくると思うな。

 インターネットで買った靴が大きくて、パソコンで見るより色が濃くて困った。しかしこの靴を買ったおかげで好きな音楽が増えた。


ウララのこと

音楽の人と話しているとなかなかみんな音楽聞いてなかったり。そんな僕も普段はそんなに写真集を見なかったり。どうにもこうにも局地な興味を持っていて、いまこれだと思えばいまそれで、とても一辺倒になるんです。そんなこんなで写真よりも音楽を聞いているいま最近。それからと言うもの頭の回転が速くなった気がして、あぁ娯楽の大切さ、楽しみながら息や何やを抜きながらの考々々、こーこーこーと回っている頭にスッキリとした感が感々々とあるのです。ヨラテンゴと、ゴリラズのグラストンベリー(youtube)の最後のヒップホップ二発が主なヘビーローテーションです。

晩に食べる白ごはんの量を減らす春。春ウララは過ぎて、初夏ウララに向かいます。


東京のこと

東京の町から帰ってきたのは昨日のこと。車中泊2の普通の泊が2。泊めて頂いた方、出会ってくれた方、出会った方に感謝。感謝の気持ちの表し方を考える。渡すことに対するお返しがあります。渡したかったけど、渡せなかったもどかしさがあったことを、旅の途中で思い出した。ふとしたときにその話題がでて、ほんとだなと思った矢先、まるで生き方をひっくり返されたような場面があって、焦った、けど、それがちがうことも分かっているし、申し訳なさは元からだったので、心にとめた。そのまま、私として反省することにした。彼には、何かの形でお返ししたい。東京の話になってない。

dOPPOを見に東京へ行きました。もう一年以上、一昨年の末以来じゃないかと記憶しています。バンドdOPPOは一人の人のよう。喜怒哀楽がバンドにあって、客にもあって、失敗も成功も、離れるも固まるも、再会もお別れも、目まぐるしく変わる生き物の一生や、一日のようなものが、ステージの中で起こっているように感じる。この日も色々なことが表情に現れてた。照れと笑い、照れ笑いが印象的だった。最後に小僧が三人飛んできたところまで最高だった。

dOPPOはもちろん、東京ではたくさんの人に会いました。家族や音楽の友達や双子やお笑い友達や偶然の再会や。偶然の再会の瞬間は本当に驚愕で印象に残っています。雑居ビルのエレベーター前には心してかからないと。

東京ミッドタウンで見たともねえの写真はずっと見ていたかった。

帰ってきてからはパンデミックの心配と今日になっての安心と。人と繋がること、大切な人たちのこと。